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福岡地方裁判所 昭和47年(ヨ)78号 判決 1973年5月28日

申請人 本田隆

被申請人 日本電信電話公社

主文

申請人の申請を却下する。

申請費用は、申請人の負担とする。

事実

第一当事者の申立て

(申請人)

一、被申請人は、本案判決確定に至るまで、申請人を休職中でない被申請人公社福岡統制電話中継所第二整備課職員として取り扱え。

二、被申請人は申請人に対し金一、〇三五、一〇八円および昭和四七年一月一日以降本案判決確定に至るまで、毎月二〇日に金七三、七二五円を支払え。

三、申請費用は、被申請人の負担とする。

(被申請人)

主文同旨。

第二当事者の主張

(申請の理由)

一、被申請人は、約二六万人の労働者を使用して日本における電信電話事業を営んでいるものであり、申請人は、昭和三八年四月被申請人公社(以下、単に公社ともいう。)の職員となり、福岡中統制電話中継所(現在福岡統制電話中継所)の勤務を命ぜられ、現在(第二整備課所属)に至つている。

二、申請人は、昭和四四年九月二五日福岡地方裁判所に公務執行妨害罪の嫌疑で起訴された。その公訴事実の大要は、申請人は昭和四四年九月二二日福岡市内で行なわれた「安保粉砕佐藤訪米阻止」のデモンストレーシヨンに参加したところ、同市内天神交差点において、右デモ隊が警察隊に規制された際、現認、採証等の職務の為と称して出動している私服警察官のうちの一人の腰部を蹴つて暴行を加えたというものである。

そこで、被申請人は昭和四四年一〇月一日右起訴を理由として、福岡統制電話中継所長名で、公社職員就業規則第五二条第一項第二号の「職員が刑事々件に関し起訴されたときはその意に反して休職にすることができる。」という規定に基づいて休職処分をなし、申請人は同日その旨の通知を受けた。

三、しかしながら、本件休職処分は、左記の理由により、公社職員就業規則および被申請人と全国電気通信労働組合(以下、単に全電通労組という。)との間に締結された労働協約に違反しているので無効である。

(一) そもそも、休職処分は懲戒処分とはその目的、性質を異にし、休職処分のそれは、たとえば、公社職員就業規則第五二条第一項第一号の病気休職の場合には、病気により労務の提供ができないことを通常の欠勤と同様に取扱う不利益を避け、当該労働者を保護することにあり、同第二号のいわゆる起訴休職の場合も、右の趣旨にあわせて、懲戒権の発動を慎重にし、かつ刑事裁判で起訴事実の存否が明白になるまでの間の経営秩序の維持を計るというものである。

しかしながら、被申請人の定める休職は、単に職員を出勤させないだけでなく(それだけでも職場に復帰したとき、休職期間中技能習得の機会を失つたこと、および同僚上司との接触を欠くことによる不利益を被り、そのほか世間体が悪いということから非常な精神的不安苦痛を受ける。)給与面において基本給のみか勤務地手当、臨時給与等すべてにつき四割を差し引かれるため、本件のようにすでに休職期間が二年を上回り、しかも刑事々件の確定が相当先きに見込まれる状況の時には、懲戒免職を除くその他のいずれの懲戒処分(その最も重いものでも停職一年である)より以上の不利益を受ける結果をもたらし、保護規定の目的を果たさない。

職場秩序の維持という観点からいえば、職場秩序維持の妨げとなるような刑事々件とは、たとえば被害者が職場の上司、同僚であるような場合、殺人とかそれに近い傷害の非行を犯し、また常習的に暴力を振つた事案で、職場内で同じような事件を将来おこすかもしれないという強い不安を上司、同僚に与えるようなもの、あるいは婦女子の多い職場にいる者が性犯罪を犯した場合、あるいは自己の職務と密接な関連をもつ事案、たとえば、運転手がしばしば交通事故を起こした場合のように、起訴事実の内容と職場環境、職務内容等を考慮検討したうえ、具体的に職場秩序の維持に支障を来たすような場合(このような事案については、将来懲戒処分あるいは職務に必要な適性を欠くということでの通常解雇という措置がとられると予想してもよい場合である。)にのみはじめて休職という処分をなし得るのである。

そして、被申請人と全電通労組との間に昭和三六年四月一日に結ばれた労働協約(休職の発令時期等に関する協約)第一条には、「職員が刑事々件に関し起訴されたときは休職を発令するものとする。」と定められているが、同条但書には「この場合事案が軽微であつて情状が特に軽いものについては休職を発令しないことができる。」とされているのである。

そうすると、申請人の場合は、前述のように起訴事実は、職場外に起つた職場外の者が被害者の事案で、しかも偶発的かつ軽微な所為であるうえに、勾留されてもいないのであるから、もし万一起訴事実の存在が認められ、有罪判決が確定したとしても、もともと被申請人の経営秩序維持にいささかの障害も及ぼさない事案であつて、懲戒処分を受ける筋合も全然なく、したがつて申請人が公訴係属中に職場に勤務していても被申請人の経営秩序の維持の妨げとなることはない。しかして、本件は、公社職員就業規則および労働協約の規定によつては休職を命ずることはできない事案であり、他に右就業規則で定める休職事由に該当する事実はないから、本件休職処分は、右就業規則および労働協約に違反する無効なものである。

(二) また、被申請人が、刑事休職制度の必要性として、公社の業務が国民の信頼に基づき公共の福祉を増進すべきものであり、そして、公社職員において誠実に法令および業務上の規程を遵守すべきことが服務の基準とされていることに照らしてみて、職員が刑事々件に関し起訴された場合に、犯罪の嫌疑をかけられている職員をそのまま公社の職務に従事させることは、公社の国民に対する信用を保持するうえで支障の起る蓋然性が大であることを強調するのであれば、それは不合理である。

なぜなら、公社の国民に対する信用とは、その取扱う電報電話業務が支障なく行なわれることであると考えられるが、そうだとすれば、その地位、職務内容等からみても、申請人を休職にしなくともそのような支障が起るとは思われないからである。

(三) さらに、また被申請人が、公社職員については法令により職務専念義務が課せられるところ、公訴係属によりその義務を全うし得ないことを、刑事休職制度の存在理由の一つとして主張するのであれば、申請人は、前記部署において、他の課員二〇名とともに作業をしていたもので、その仕事は中継器機の修理や整備定期試験、機械室の整備等が主たるものであり、一か月に一度か二か月に一度の公判(刑事裁判の今日的実情は例外を除きそのような進度で行なわれている)に出頭するからといつて、職務に専念できない理由はなく、起訴事実からみて、特別な場合には出頭も免除されるのであるから(刑訴法第二八五条第二項参照)、月一回くらい休むからといつて、職務に専念できないとして休職処分に付することは失当である。

四、申請人は、別紙給与額目録の(A)欄のとおりの給与の支給を受けるべきところ、本件休職処分のために(B)欄記載の金員の支給を受けたのみで、昭和四四年一〇月から昭和四六年一二月までのその差額の合計額は一、〇三五、一〇八円であり、また申請人が休職処分を受けなかつた場合、昭和四七年一月以降に支給を受けるべき毎月の給与額は五三、七〇〇円であつて、そのうえ、夏期、冬期の臨時給与、その他業績手当、生産手当等を昭和四五年度の実績から推定するとその額は少なくとも月平均二〇、〇二五円となるから、同月以降、申請人は被申請人より毎月合計七三、七二五円の給与の支払を受ける権利がある。なお、被申請人の毎月の給与の支給日は、その月の二〇日である。

五、申請人は独身であるとはいえ、現在被申請人より支給されている月平均三〇、二六八円の給与から、共済組合費、税金宿舎費、組合費、保険費、相互扶助協会費等の合計約八、二〇〇円を差引いた毎月の手取り額は僅かに二二、〇六八円に過ぎず、これでは今日、独身の青年の生活でさえ、維持していくことは極めて困難であり、結婚を考えることなど全く及びもつかない非人間的な生活を余儀なくされているうえ、本件の刑事裁判は現在控訴審に継続中であり、このような状況はかなり長期間続くことが予想されるので、本案訴訟の確定を待つていては、生活が破壊されてしまい、回復しがたい損害を被るおそれがある。

六、よつて、申請人は被申請人に対し、申請人を休職中でない被申請人公社福岡統制電話中継所第二整備課職員として取り扱うべきことを求めるとともに、あわせて、前記給与差額一、〇三五、一〇八円および昭和四七年一月以降本案判決確定に至るまで、毎月二〇日に金七三、七二五円の支払を求めるべく本申請に及んだ。

(申請の理由に対する答弁)

一、一および二の事実は認める。ただし、公社職員は約二八万人である。

二、三ないし五の事実は争う。

(被申請人の主張)

一、本件刑事休職に至るまでの経緯

(一) 申請人は、昭和四四年九月二二日、福岡市天神五丁目所在の福岡市民会館において開催された「安保ぶつつぶせ市民集会」終了後、右集会参加者らによつて行なわれた、同会館から天神一丁目所在の水上公園までの「安保反対、佐藤訪米阻止デモ行進」および同デモ隊員によつて引き続き行なわれた同公園から天神交差点までの無届デモ行進に参加したものであるが、同日午後一一時二〇分頃、右天神交差点東南角の車道上において、右無届のデモ隊が警察機動隊によつて規制された際、私服を着用してあづき色地に白地で「捜査員」と染めぬかれた腕章を左腕にはめて、違法行為の現認、採証、警告等の職務を行なつていた福岡警察署警備課員巡査部長豊福久仁義に対し、やにわにその背後から右足にはいていたバツクスキン製皮靴のつま先で、同人の腰部尾てい骨付近を一回けりあげる暴行を加え、もつて同巡査部長の職務の執行を妨害した。そのため、申請人は昭和四四年九月二五日公務執行妨害罪(刑法第九五条第一項)の嫌疑で福岡地方裁判所に起訴され、審理の結果、昭和四六年三月一一日同裁判所において、懲役四月、執行猶予二年の有罪判決の云渡しがなされたが、申請人において控訴したため、目下、控訴審において審理中である。

(二) 申請人の任命権者である福岡統制電話中継所長は昭和四四年九月二五日、申請人が右事実により起訴されたことを知つたが、右は公社職員就業規則第五二条第一項第二号の「刑事事件に関し起訴されたとき」に該当するので、同年一〇月一日、申請人に対し休職の発令を行なつた。

二、公社業務の性格と職員の法令遵守義務

公社は、国家社会の神経系統といわれるきわめて公共性の高い電信電話事業の経営を国民から付託され、職員約二八万人が日本全国にわたり日夜をわかたずその使命達成に邁進している公共企業体である。

また、公社職員の職務内容、服務規律などは、一般私企業と異なり、日本電信電話公社法(以下、単に公社法という。)によつて規定され、公社職員は立法上国家公務員に近い取り扱いを受けているのである。

すなわち、公社職員は公共の福祉の増進を目的とする公衆電気通信事業に従事し(公社法第一条、公衆電気通信法第一条)、業務の遂行に当つては、役職にある職員あるいは役職にない一般職員との区別なく、すべての職員は法令および公社が定める業務上の規定に誠実に従い、全力をあげて職務遂行に専念すべき義務を負い(公社法第三四条)、また、公務員と同様に一切の争議行為が禁止されており(公労法第一七条、第一八条)、しかも罰則の適用に関しては、公務に従事する者とみなす(公社法第三五条、第一八条)とされているのである。

このように、職務遂行に関し、法律によつて法令等の遵守義務を課し、公務員同様の公正、誠実を要求していることは、公社事業がきわめて高度の公共性を有するゆえんであつて、一般私企業には例をみないものである。

その反面、被申請人の職員は、一般社会から、右のような公共性の高度な企業に勤務し、その職務に専念しているものとしての好ましい評価を与えられている。

右のような社会的評価は職員としての信用と言いかえてもよい。また、右のような社会的評価を保持することが職員としての品位だと解してよいであろう。

三、刑事休職制度の趣旨とその必要性

(一) 電電公社の刑事休職制度は、民間私企業の場合とは異なり法律に明定されているものであつて、公社法第三二条第一項第二号には、職員は刑事事件に関し起訴されたときは休職に付される旨を規定し、この法律に基づいて、公社職員就業規則(第五二条第一項第二号)においても「刑事事件で起訴されたときは、その意に反し休職にされることがある」と規定している。

これは、公社の業務が国民の信託に基づき公共の福祉を増進すべきものであり、公社職員において誠実に法令および業務上の規定を遵守すべきことが服務の基準とされていることからして、公社職員が刑事事件に関し起訴された場合には、罪を犯した嫌疑をかけられている職員をそのまま公社の職務に従事させることは、(イ)公社の国民に対する信用を保持するうえで支障の起きる蓋然性が高いこと、(ロ)公共の福祉のために重要な公社の職場秩序を乱す蓋然性が高いこと、(ハ)職務に専念すべき義務を十分に果たし得ないこと等の理由により設けられた制度である。

(二) 右の刑事休職制度は、被申請人公社の場合にだけ法律で定められているのでなく、国家公務員法第七九条第二号および地方公務員法第二八条第二項第二号により、公務員の場合にも、また他の二公社(日本国有鉄道・日本専売公社)の場合にも法律で規定されており、その内容はほぼ同様のものである。また被申請人公社の刑事休職制度は沿革的にみれば次のとおりであつて、被申請人公社における刑事休職制度の運用は国家公務員の場合と同様であるべきものといわなければならない。

(1) 昭和二七年八月一日公社法が施行され、電気通信省が日本電信電話公社に移行し、同時に公社法を受けて公社職員就業規則が制定されたのであるが、その内容は公社の沿革および性格に照らして、当然に国家公務員の場合と同じものである。

公社法第三二条 職員は左の各号の一に該当する場合を除きその意に反して休職にされることがない。

二、刑事事件に関し起訴されたとき

3、第一項第二号の規定による休職期間は、その事件が裁判所に係属する間とする。

4、休職者の給与は第七二条に規定する給与準則の定めるところにより支給する。

公社職員就業規則第五二条 職員は次の各号の一に該当する場合はその意に反して休職にされることがある。

二、刑事事件に関し起訴されたとき

3、第一項第二号の規定による休職の期間はその事件が裁判所に係属する間とする。

4、休職者は職員としての身分を保有するが、その職務に従事しない。

同規則第九四条3、職員が刑事事件に関し、起訴され休職にされたときは、その休職の期間中基本給、扶養手当および勤務地手当の一〇〇分の六〇に相当する額の合計額を支給される。

なお、給与準則として、公社職員給与規程が制定され、国家公務員の場合と同様に刑事休職者の給与について、その休職の期間中俸給、扶養手当および勤務地手当のそれぞれ一〇〇分の六〇を支給すると定められた。

(2) そして、同年九月一九日公社と全電通労組との間に、刑事休職の運用に関して、「休職の発令時期および休職者の給与等に関する協約」が締結された。同協約の大要は、つぎのとおりである。

第二条 職員が刑事事件に関し起訴されたときは、起訴された日に休職の発令を行なうものとする。

但し、事案が軽微であつて、その情状が特に軽いものについては休職を発令しないことができる。

第四条2、第二条の規定による休職者の休職期間はその事件が裁判所に係属する間とする。

第五条 休職者に対しては、左の各号による給与を支給する。

三、第二条の規定による休職者に対しては、俸給、扶養手当および勤務地手当のそれぞれ一〇〇分の六〇

なお、右第二条但書が取り決められるについては、条文上で表現されている以外に当事者で別段の交渉はなされていない。

(3) 昭和三〇年一二月一日公社と全電通労組との間に、改めて「休職の発令時期および休職者の給与等に関する協約」が締結されたが、その趣旨はさきの協約と同一である。

(4) 昭和三一年一二月二〇日公社職員就業規則の全面改正が行なわれたが、その内容は昭和二七年の同就業規則および給与規程の内容をそのまま引き継いだものである。

(5) 以上のとおり、刑事休職制度は古くから久しく実定法規のうえで規定されている制度であり、また国家公務員の場合と公社の場合とは沿革と内容を全く同じくしているものである。このような沿革と背景の上にたち、公社の刑事休職制度は現在では、公社法第三二条第一項第二号ならびに同条を受けて公社職員就業規則第五二条第一項第二号、前記協約第一条第四号等に依拠して運用されているものである。

(三) また、わが国における刑事事件の起訴は、検察官の起訴独占主義によるものであつて、起訴法定主義のごとく画一的なものでないから、一旦起訴された者の有罪の蓋然性は非常に高い。このことが公社における刑事休職制度の裏付けとなつていることはいうまでもない。

公社の職員は、前述のごとく、公共の福祉を増進するために勤務するものであり、その職務の性質は公務員と大差ないのであるから、刑事事件に関して起訴され、その犯罪の嫌疑が客観的に高められている職員が依然として公共の利益に関する職務に従事することは、その職員のたずさわる職務の性質上甚だしく不当である。

かような沿革ないし制度の設けられた経緯からみると、公社における刑事休職制度は、公務員の場合と同様に起訴だけを要件としているのであつて、罪質が破廉恥罪であるかどうか、犯罪が成立するものかどうか、犯罪が職場内であるか職場外であるかどうか、具体的に公社の体面あるいは信用を汚したかどうか、職員の素行は日常どうであるか等は問わないのであり、例外的に、事案(公訴事実の内容)が軽微であつてかつその情状が特に軽く、起訴後も出勤の可能な場合については、休職を発令しないことができるとしているに過ぎないのである。

事案が軽微であるかどうかは、公訴事実それ自体を対象として評価するのであり(犯罪の最終的な成否をいうのではない。)、これは、まず、保護法益との関係で社会的制裁の度合が類型的に表現されている刑罰法規の法定刑の軽重に照して検討すべきことであり、事案が軽微であるとは、公訴事実に対する法定刑の軽いもの(原則として、罰金刑に相当するもの。)で、そしてその侵害利益が少ないものをいうと解すべきである。また、事案の情状がとくに軽いものとは、公訴事実それ自体の情状(動機、経過等の犯情)のとくに悪くないものと解することができる。かく解することは、社会一般通念からしても、また禁錮以上の刑に処せられた者は職員としての適格性を失うとされていること(公社法第三一条、公社職員就業規則第五五条)からしても合理性がある。なお、刑事休職は懲戒権の行使と全く関係なく、公社の信用保持と職場秩序維持等のために発令されるものであつて、被起訴者の責任を追及するというよりも、むしろ公社の立場から休職に付するものであるので(使用者の責に帰すべき事由による休業の場合の休業手当(労基法第二六条)と同様に、就労しないのに公社が一律に六割の給与を支払うように定めている(公社職員就業規則第九四条第四項)のは、この両者の相違を裏づけているものといえよう。)、刑事休職処分の適否はそれ自体について規定している規範に照して決すべきであり、当該行為をめぐつて将来予想される懲戒処分との比較均衡や刑事休職処分が継続したのちの懲戒処分との調和からさかのぼつて、その適否を論じようとするのは全く筋違いであり、謬論である。

刑事休職処分により、当該職員は職員としての身分を保有するが、職務に従事させず、給与も六割しか支給されないという不利益を被ることがあるにせよ、その不利益は懲戒処分のごとくそれ自体が目的の一部となつているものではなく、勤務に就かないことから派生するものであり、たまたま裁判の延引により休職期間が予想外に長期化し、結果的に休職による不利益の方が懲戒処分より遙かに大きくなることがあつても、それは二つの制度がその性質と目的を異にしているからであり、懲戒処分との比較均衡等から刑事休職の適否を判断することは適切でない。

四、刑事休職と公社の裁量権

(一) 刑事休職については、事案(公訴事実)が軽微であるかどうか、あるいは情状がとくに軽いかどうかは、公社自身において企業の経営権ないし自律権に基づいて判断すべきであり、公社の裁量権の範囲内に属する事項であるから、裁量権の濫用がない限り、公社の措置について違法の問題は起り得ないと解すべきである。

本件について起訴のあつたことについては、当事者間に争いがなく、また、事案が軽微でなく、かつ情状がとくに軽いものでないと評価した公社の本件判断には裁量権の濫用はないから、その適否について違法の問題の起り得ないことは明らかである。

(二) 仮りに右主張が容れられないとしても、公社における刑事休職制度は、前述のとおり、起訴を要件として休職とし、例外的に起訴された事案が軽微であつて、その情状がとくに軽く、起訴後も出勤が可能な場合においては休職を発令しないことができるのであるが、本件の場合は、次に述べるとおりそのような例外的な事情は全く認められないものである。

(1) 一般に企業の従業員は企業との労働契約関係を継続することを媒介として自己の経済生活を営むほか、好むと好まざるとに拘らず一個の有機体としての企業の組織の構成に参加し、社会的、客観的な事実として企業に向けられる一般社会の評価としての信用の一端に多かれ少かれあずかるのであり、それ故企業の従業員は、企業の保有する有形、無形の利益を損わないようにすべき信義則上の義務を負うものというべく、事の性質上右の義務は従業員が企業外に在る場合でも免れることができない。

とくに、前述のとおり被申請人公社においては、その高度の公共性の故に、職員は、その職務の遂行に当つて公正誠実であることはもとより、職務外にあつても国民の信頼を裏切るが如き反社会的犯罪を犯すことは許されない。

就中、申請人の所属する福岡統制電話中継所は、九州の電気通信網の中枢ともいうべき重要な立場にあり、同中継所の業務がストツプすれば九州管内の主要回線の大半が機能を失うことはもとより、東京、大阪等九州管外との通信機能もストツプするものである。

申請人は、このように重要な職場において直接機械の保守業務に従事するものであるから、その職務の遂行にあたつて公正誠実であることはもとより、職務外にあつても対外的信用を損傷するような行為は絶対にあつてはならないものである。

しかるに、申請人は、無届デモが規制されるや、正当に職務遂行中の捜査員と知りながら、走り寄つて同人の腰部を蹴りつけ暴行を加えたうえ、逃走を企て、現行犯として逮捕されたものであるから、本件犯行は、それ自体決して偶発的軽微な事案ではなく、さらに社会通念上、公務執行妨害罪のような反社会的な犯罪で起訴され、懲役刑または禁錮刑に処せられる蓋然性の高い者を公社が依然として働かせているということになれば、これを知つた国民が公社の業務運営の公正さについて危惧を抱くことは疑う余地のないところであるから、たとえそれが、職場外の犯罪であつても、公共の福祉に奉仕すべき公社業務の対外的信用あるいは、労務秩序を損わないとは考えられず、事案の情状が特に軽いものとは到底いうことができない。

かえつて、申請人の今回の犯罪をみるに、多くのデモ参加者中申請人のみがかかる犯行を行なつたということは、申請人が暴力肯定、法秩序無視の傾向が強い性格であることを証明するものといわざるを得ない。のみならず、後述のとおり、申請人と同じ観念を持つ、いわゆる反戦過激団体に属する者等が、昭和四四年ごろから次々と各種の過激行為を行ない、社会の激しい怒りと非難を浴びていることは周知の事実である。

かようにして、職員が、かかる非違行為を犯した場合、職務外であろうともそれは職員自身の品性を傷つけ、信用を失墜するにとどまらず、当該職員を従業員として使用している公社自体の信用をも失墜するものであり、国民からその公正さを疑われることになるのであつて、本件犯行は、公社の企業秩序の維持ないし利害に密接に関連するものといわざるを得ない。

(2) 申請人は、本件起訴事実は、有罪判決が確定しても、もともと被申請人公社の経営秩序維持に些かの障害をも及ぼさない事案であり、申請人が職場で勤務していても公社の経営秩序の維持の妨げになることはない旨主張するが、別紙一、二記載のとおり、申請人の所属している全電通反戦青年委員会は、各所で過激な大衆行動、違法行為を行ない、また全電通の組織統制にも従わず、外部の者を導入して、公社施設内ないし施設前において集会を開くなど職場におけるいわゆる反戦活動を活溌に行なつた。これらの活動は、公社の施設に対する危険、業務の阻害、他の職員とのあつれきをもたらすものであり、公社に与える悪影響はきわめて大である。そして、申請人が昭和四四年九月二二日、過激行動により逮捕、起訴されたことが公社内の同調者に対する刺激となり煽動的影響を与えたことは、公社職員のうち、申請人と思想を同じくする反戦青年委員会過激分子が各地ではなはだしい違法行為に出て、昭和四六年七月二八日までに全国で五三名(九州で一四名)の逮捕者を出し、うち一七名が起訴されていることからも容易に推認できるところであるから、この種犯行が職場外に行なわれたものであつても、集団過激行動に参加した者としての申請人ないしその同調者に対し、非難の目を向ける者が少なくなかつたであろうし、そのことによつて直接、間接に醸成される職員間の違和は、企業秩序維持に影響なしとしないと思われる。

したがつて、反戦青年委員会に属する申請人の本件起訴の公社に与える影響については、単純にそれのみに限定してこれを評価すべきではなく、その行為が反戦青年委員会の全国的な過激な闘争の一環として行なわれたものである以上、その背景となつている反戦青年委員会の活動状況、とくに公社内における同委員会の組織、活動等を十分考慮して評価すべきものである。

そうであれば、本件犯行は、申請人の過激な性向を象徴するものであり、かような犯行を犯して起訴された職員を依然として公社の業務に従事させておくことは、他の職員との間に違和感を生じさせるとともに、対外的にも公社に対する不信感をひき起すものというべきである。ことに、申請人はすでに第一審において有罪判決を受けており、これが確定した場合には当然重い懲戒処分が行なわれるべきものであるから、公社の業務に及ぼす影響は一そう大である。

(3) 申請人の所属する職場は、九州の電気通信網の中枢ともいうべき重要な職場であり、その職場の中でも申請人が行なう職務は、直接機械の保守に当る機械職で、当該職場の最も主要な職務内容ともいうべきものである。

このように公共性を有する業務内容から考えた場合、本来起訴後の出勤の可能性を論ずる必要も認められないものであるが、実態面から考えた場合も、たとえ出廷日数は少なくとも、裁判の準備(証人、書証、打合せ等)は通常かなりの努力、心労を要するものであり、出勤していても心理的に業務に専念し得ない場合が多いことは容易に推認しうるところといわざるを得ない。

五、仮処分の必要性の不存在について

(一)公社においては、休職処分にした場合には、労務を提供しないための不要な諸経費を差引き、生活維持のために必要な基本給、扶養手当および暫定手当の六割に相当する額の合計額を支給することにしており(公社職員就業規則第九四条第四項)、本件の場合も右金額を支給し続けている。この六割の支給で生活維持が一応可能であることは労働基準法第二六条(使用者の責に帰すべき事由による休業の場合の休業手当)、労働者災害補償保険法第一四条(休業補償費の範囲)に照らしても明らかであり、もし、六割の支給で生活維持が不可能であるとするならば、休職のすべての場合に仮処分が容認されざるを得ないことになり、また労働基準法や労働者災害補償保険法の右規定が全く不合理なことに帰するから、六割の給付を受けながら生活を維持するために保全の必要性があるというのは明らかに失当というべきである。

(二) 申請人は、各種控除を行なつた残り二二、〇六八円では独身青年の生活を維持していくことは困難と述べているが、申請人は現在公社の独身寮に入寮しており、寮費五、五〇〇円(食費、光熱料も含む)のみが絶対必要経費であるから、生活の維持が困難とは考えられない。

(三) また、申請人が休職になつたのは、昭和四四年一〇月一日であり、本件仮処分申請は休職から約二年五月を経過した昭和四七年二月一五日である。その間申請人は六割の給与によつて生活を維持してきたのであり、この事実からしても本件仮処分の必要性はないものというべきである。なお、附言すれば、休職中は、定期昇給はないが、給与改訂によるベースアツプは毎年行なわれているものである。

第三疎明関係<省略>

理由

一、被申請人が多数の職員を使用して日本における電信電話事業を営んでいる公社であり、申請人が被申請人公社(以下、単に公社ともいう。)の福岡統制電話中継所に勤務する職員であること、申請人は昭和四四年九月二五日福岡地方裁判所にその主張の公訴事実ならびに罪名をもつて起訴されたため、同年一〇月一日、福岡統制電話中継所長から、公社職員就業規則第五二条第一項第二号の「職員が刑事事件に関し起訴されたときはその意に反して休職にすることができる」旨の規定に基づき休職処分を受けたことは当事者間に争いがない。

二、本件休職処分の効力

(一)  起訴休職制度の趣旨

1  日本電信電話公社法(昭和二七年法律第二五〇号。以下、単に公社法という。)第三二条によれば、「職員が刑事事件に関し起訴されたときは、その意に反して休職にされることがある」旨の規定があり、前記就業規則の条項は該規定を受けたものであることは条文上明らかであるが、さらに、被申請人と全国電気通信労働組合(以下、単に全電通労組という。)との間に締結された「休職の発令時期等に関する協約」第一条には、「職員が刑事事件に関し起訴されたときは休職を発令するものとする。ただし、事案が軽微であつて情状が特に軽いものについては休職を発令しないことができる。」旨の規定が存することは、成立に争いのない疎乙第五号証に照らして明らかである。

これらの諸規定の体裁からしても、被申請人公社におけるいわゆる起訴休職制度は、職員が刑事事件に関し起訴されたときはおよそ休職処分にしなければならないとか、あるいは、起訴休職制度は、起訴という事実だけを要件としているのであつて、国家機関たる検察官がその権限に基づいて行なつた起訴という事実に着目して、任命権者が自己の裁量によつて休職処分に付した以上、その処分の適否に関して論ずる余地はないなどと議論する必要はなく、上記諸規定は、職員を起訴休職に付するかどうかはいちおう被申請人の裁量に委ねているとはいうものの、起訴休職制度の設けられた趣旨、目的に照らし、被申請人もその運用については、自ら客観的、合理的な制約に服すべきものであり、これに反する起訴休職処分は、公社法の規定が被申請人に与えた裁量権の範囲を逸脱したものないしは裁量権を濫用したものとして無効となるものと解するのが相当である。そして上記協約もこの趣旨を明らかにしたものに他ならないというべきである。

2  そこで、被申請人公社における起訴休職制度の趣旨、目的について考える。

(1) およそ公訴を提起された者といえども、有罪の判決の宣告を受けるまでは無罪の推定を受けるのが法律上の建前ではあるが、わが国の刑事司法の実際においては、検察官が起訴を独占していること、および起訴便宜主義が採られていること(なお、刑訴法第二五七条、第三四〇条参照)等種々の理由により、起訴された被告人の大多数が有罪判決を受けていることは顕著な事実であるから、その事の是非はともあれ、一般的にみれば、人が刑事事件に関し起訴されるや、すでにその段階において犯罪の嫌疑が客観化され、将来有罪判決を受ける高度の蓋然性があるものとして、社会からそのような評価を受けることは避けられない実情にある。しかして、公訴の提起を受けた者がそのまま職務にとどまつてこれに従事するときは、当該従業員の地位、職務、公訴事実の内容いかんによつては、職場秩序が乱され、または企業の社会的信用が害されるおそれがあるし、また、刑事被告人は、刑訴法第二八三条ないし第二八五条に定める場合を除き公判期日に出頭する義務を負い(同法第二八六条)、同法第六〇条に定める理由があれば、裁判所はいつでも刑事被告人を勾留し得るのであるから、従業員は、公訴提起により、勤務時間のすべてをその職責のために用いるのに困難を生ずることもあり、その反面、企業としては、当該従業員からの確実な労務の提供を期待できないことから、企業活動の円滑な実施に障害をもたらすおそれがある。起訴休職制度は、かかる事態の発生を防止するため、当該従業員をして、刑事事件の確定に至るまで従業員たる身分を保有させながら、暫定的に企業から排除する(職務に従事させない)ことを目的とする措置であるということができる。

(2) とりわけ、被申請人公社は、公衆電気通信事業を合理的かつ能率的に経営し、電気通信による国民の利便を確保するため、日本国内における公衆電気通信事業を独占的に行なうべく、政府が全額を出資し、法律によつて設立された公企業であり、その行なう公衆電気通信事業は国の神経系統ともいわれるきわめて高度の公益性を有するものであり(公社法第一条、第五条等参照)、したがつて業務の遂行に当たつては、すべての職員は法令、および公社が定める業務上の規程に誠実に従い、全力をあげて職務遂行に専念すべき義務を負うものとされ(同法第三四条)、また右規定に基づいて制定された公社職員就業規則第九条によれば、職員は、公社の信用を傷つけ、または従業員全体の不名誉となるような行為をしてはならないとされているのであつて、このような被申請人公社の業務の高度の公共性の故に、刑事事件に関し起訴され、公の嫌疑を受けた職員をそのまま公社の職務に従事させることは、高度に公益性のある公社の職場における規律ないし秩序に影響するところが大であるのみならず、公社の国民に対する信用を失墜させるおそれのあること、さらには職員の上記職務専念義務に支障を生ずる可能性があると考えられ、それ故に、法律はとくに公務員と同様公社職員についても刑事休職制度を設け、公社の業務に対する国民の信用を保持し、かつ職場秩序を維持し、さらには職務専念義務に支障なからしめんとしたものと解せられるのであつて、公社における起訴休職処分の適否を判断するに当つては、この点に格別の留意を払う必要があるものと解される。

3  かくいうものの、前述のとおり、このことは、およそ被申請人公社が起訴を理由に休職処分を発令した以上、その裁量権の行使について、当否はともかく違法の問題は起り得ないことを意味するのではもとよりなく、公社の職員といつても、公衆電気通信事業というきわめて公共性の高い業務の基本方針の策定等高度の内容の業務の遂行に当たるものから、単純機械的な労務に服するに止まる者まで多くの階層があり、起訴が公社の内外に与える影響は、当該職員の地位と職務の内容によつて自ら異なるところがあるのみならず、刑事事件に関し起訴されたからといつて、それが破廉恥罪であるかどうか等公訴事実たる犯罪の内容、態様、程度によりあるいは職務に関しなされたものであるかどうか等によつて職場秩序に与える影響も相当異なつたものがあるのであるから、職員が刑事事件に関し起訴されたことによつて、公社の信用が傷つけられるかどうか、職場の秩序が乱されるかどうか、職務専念義務の履行に支障を生ずるかどうかは、当該職員の公社における地位と職務内容、起訴状に記載された公訴事実の内容(動機、罪質、態様、程度)および起訴の態様、すなわち身柄拘束の有無等諸般の事情を、当該事案に即して総合的に考察して判断さるべきものであつて、かかる事情を検討したうえ、なお公社の信用の保持と職場秩序の維持等の見地からみて、当該職員を暫定的に職場から排除する必要がある場合において初めて当該休職処分は客観的合理性を有するものといい得るものである。

4  しかも、起訴休職となつた職員については、基本給、扶養手当および暫定手当等の六割の支給しか受けられないことは成立に争いのない疎乙第四号証の一(公社職員就業規則)によつて明らかであり、起訴休職処分を受けた職員は、休職期間中は少なくともかかる生活上の不利益を受けるのであるから、処分の相当性を判断するについては、かかる事実も当然考慮されるべきであろう。

5  さらに、休職処分は、前叙のとおり、当該非違行為につき起訴された職員をそのまま公務に従事させるときは、国民の公社に対する信頼を損ない、また職場秩序を乱すおそれがあり、さらに職務専念義務に支障を生ずる可能性を内包することから、該職員の就労を継続させることが不適当である場合になさるべき暫定的措置であつて、起訴の対象となつた非違行為の責任を問うものではないから、起訴休職処分と、当該起訴の対象となつた非違行為につきその責任を問う懲戒処分とは、その目的、効果を異にするものがあるけれども、起訴休職処分の存在意義は、一面において、公訴の提起があつた以上、国家機関の判断としていちおう尊重はするが、公訴事実が未確定の状態にあるため、ただちに当該職員を解雇する等懲戒権を発動することを避け、最終的判断の慎重を期するとともに、他面において、前述のとおり公訴提起によつて事実上有罪の推定を受けかねないところから、たとえ公訴事実の未確定の間であつても、その職員をそのまま職務にとどまらせることが職場秩序の維持等の面から好ましくないとの配慮にあると解せられる以上、起訴にかかる事実が軽微であつて、その事実が確定的に認められても、事業内部における秩序ないし労務の統制の維持の面から評価して重い懲戒処分に値しない場合には、とくに休職処分に付さなくとも職場の秩序を乱すおそれは少ないのであるから、かかる場合に休職処分に付することは、少なくとも職場秩序維持の必要性という側面からみた場合には相当でないことになろう。したがつて、起訴休職処分に付する場合の指標としては、公訴事実につき有罪判決が確定した場合、懲戒権の発動として、当該職員に対し、少なくとも相当期間の停職またはそれ以上の懲戒処分がなされることが十分予想される場合であることが考えられ、かかる場合には、通常当該休職処分は相当であるとして容認されるものといえるであろう(ただし、職務専念義務との関連において起訴休職処分の相当性を判断するに当つては、この論理が妥当しないことは言うまでもない。)。けだし、かかる場合には、通常公訴事実に対する有罪判決の確定前においても、起訴された者をそのまま就労させるときは、職場秩序を乱し、企業の対外的信用を傷つけるおそれがあるといえるからである。

6  前記労働協約第一条但書は、公社が休職処分を発令するに当たつて遵守すべき裁量権の範囲を、右の趣旨において注意的に明らかにしたものと解せられるから、同条項但書の「事案が軽微であつて、情状が特に軽いもの」という意味は、単純に公訴事実の罪名や法定刑の軽重によつて決すべきではなく、上記のような休職処分の目的、機能等に則して判断すべきであり、このような客観的基準に照らし、明らかに制度の趣旨を逸脱した休職処分がなされた(すなわち事案が軽微であつて、情状が特に軽いにもかかわらず、そうでないとして休職処分に付された)場合には、右処分は裁量権の範囲を逸脱したものないしは裁量権を濫用したものとして無効というべきである。

(二)  そこで、本件起訴休職処分の適否について判断する。

1  (1) 当事者間に争いのない前記公訴事実によれば、申請人の犯罪は職場外において申請人の職務とは全く無関係に行なわれたものであることが認められ、また、証人早川博および同田石禎介の各証言、申請人本人尋問の結果ならびに成立に争いのない疎甲第二号証、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認める同第三号証、証人田石禎介の証言により真正に成立したものと認める同第八号証によれば、申請人は昭和三八年三月熊本県立山鹿高等学校を卒業後、直ちに被申請人日本電信電話公社に入社し、福岡中統制電話中継所(現福岡統制電話中継所)の職員となり、同所第一試験課に配属されたが、直ちに熊本電気通信学園および鈴鹿電気通信学園に入園して、搬送の専門技術等を学んだのち、再び上記中継所に帰り、本件休職処分当時は同所第二整備課に所属していたこと、上記中継所は、主として局内設備および市外電話回線の保全、建設のほか市外回線の試験統制ならびにこれらに附帯する業務を行なうものであるが、申請人は同中継所第二整備課において、中継器械の修理、整備、定期試験、機械室の整備の仕事を、より具体的には機械室および修理室において装置、機器、測定器等の真空管、コード、ヒユーズその他の部品の点検、取り替え、故障修理、機器等の調整、点検等の仕事に、他の職員とともにその内容に応じて二名ないし四名の組を作つて従事していたが、上記業務は、殆んど中継所内部で行なわれ、かつ顧客との応待等外部の人との接触等を通じて行なわれる性質の仕事ではなく、要するに機械的、技術的なものであること、また中継所内部で職員の異動が行なわれることもあり、その場合には、専用回線利用者等の要求に応じ、専用線の修理、試験等の仕事を行なうことになることもあり得るが、この場合においても、外部との接触は主として器機の調整、修理等機械的、技術的な事項につき、主として電話による応答を通じてなされるのであるから、職員の個性、挙措動作等が対外的に問題となる余地は殆んどないことがいちおう認められる。

また、前掲各証人の証言および疎甲第八号証によれば、申請人の本件起訴にかかる刑事事件の裁判費用は、主として上記中継所の職場内の申請人と地位職務をほヾ同じくする公社職員からのカンパによつて賄なわれているが、資金を寄せるものは必ずしも反戦青年委員会所属者およびその同調者に限られておらず、また申請人の復職を求める署名簿に対しても、同職場内の約半数のもの(六九名)が署名を寄せていることがいちおう認められ、右の事実に徴すれば、少なくとも申請人と地位、職務をほぼ同じくする右の範囲内の公社職員の間では、公訴の提起を受けた申請人が従来どおり職務に従事することに対し、さして違和感を懐いていないかのようにも思われる。

以上認定の事実のみからすれば、申請人の地位、職務内容からいつて、本件起訴の公社に与える影響、すなわち、対内的には職場秩序を乱し、対外的には公社の信用を毀損するおそれは少ないものといい得るかのごとくである。

(2) さらに、上掲証拠によれば、申請人は在宅のまま公判審理が続行されていることがいちおう認められ、公訴事実に対する罰条からいつても、申請人は全公判期日に出頭する義務を負うべきものではないし、また、刑事裁判の今日的状況からいつても、公判期日はせいぜい一か月ないし二か月に一回の割合で指定されているにすぎないことは顕著な事実であり、また前掲証人早川博の証言によれば、被申請人公社では年間二〇日の有給休暇はほぼ請求どおりに与えられていることがいちおう認められるから、申請人の刑事裁判の公判期日への出頭は一応年次有給休暇でまかなえるものということができる。もつとも、刑事裁判が係属している場合、物理的に公判に出廷する労力を要するだけにとどまらず、裁判の準備に通常かなりの努力、心労を要するほか、刑事事件が係属していることだけで心理的にもかなりの圧迫を受け業務に専念できない場合があることも容易に想像できるところであり、さらには、公社職員については法律でとくに職務専念義務を課していることにかんがみ、この点を特に強調しなければならないこと前記のとおりではあるが、上記認定のとおりの申請人の地位、職務内容から推して、刑事事件の係属それ自体が職務専念義務に支障を来たすとまでは即断できないし、起訴されたまま申請人を職務に従事させた場合、職務専念義務との間に矛盾、衝突を来たすような事態が発生すると考えることにはかなりの困難を伴うものと思料される。

2  (1) しかしながら、前記のとおり、公社職員は、公社法に基づいて制定された就業規則上信用保持の義務を負つていること等その職務が高度の公共性を帯びていることにかんがみれば、公社においては職場規律の維持、対外的信用の確保がとりわけ強く要請されていると考えられること、他方、前掲疎乙第四号証の一によれば、公社職員が有罪判決を受けたときは、免職をふくむ懲戒処分に付せられ、また、禁錮以上の刑に処せられたときはその意に反する免職処分を受けることもある(同就業規則第五九条第一六号、第六〇条、第五五条第一項第五号)こと等を考慮すれば、本件公訴事実それ自体に対する社会的な評価はもとよりのこと、罪名(公務執行妨害罪)や法定刑(三年以下の懲役または禁錮)の点からみても、必ずしも「軽微な」犯罪であるとはいい得ないのみならず、本件公訴事実によれば、申請人は「安保反対、佐藤訪米阻止デモ行進」に参加し、その際、現場で現認、採証等の職務を行なつていた警察官に対し、いきなり背後からその腰部を蹴りつけたというのであるから、決して偶発的な犯罪であるとはいい難く、その動機、態様等からいつて、「情状とくに軽いもの」に当たるとも解し難い(なお、申請人本人尋問の結果および前掲疎甲第二号証によれば、申請人は、刑事裁判において、上記暴行の事実を争つていたことが窺われるが、申請人本人尋問の結果および原本の存在ならびに成立とも争いのない疎乙第二号証(本件刑事事件第一審判決)によれば、刑事第一審の判決においては、起訴状どおりの事実が認定され、目下申請人において控訴提起中であることがいちおう認められる。)。

(2) しかも、申請人本人尋問の結果および前掲疎甲第二号証(申請人の陳述書)によれば、申請人は、本件休職処分の原因となつた福岡ベ平連主催の約五〇〇名からなる「安保反対、佐藤訪米阻止デモ行進」に参加したほか、被申請人公社内にある反戦青年委員会の思想、行動に共鳴し、同委員会等の主催ないし参加する佐世保エンタープライズ闘争、北九合理化粉砕闘争、山田弾薬庫輸送阻止闘争、板付米軍基地撤去闘争等多くの闘争に積極的に参加したことが窺われ、また、成立に争いのない疎乙第九号証、いずれも昭和四四年一一月一二日に行なわれた福岡電々ビル中庭集会時の情況を撮影した写真であることにつき争いのない同第一〇号証の一ないし六によれば、申請人は本件起訴休職中である右同日、福岡電々ビル構内で部外者とともに無許可で行なわれた福岡電通反戦青年委員会主催の集会に参加し、再三にわたる退去命令を無視したとして、公社職員就業規則第五九条第一八号に基づき同月二一日戒告処分に付せられた事実がいちおう認められる。

(3) しかして、証人宮坂弘、同久保田光利の各証言、いずれも成立に争いのない疎乙第一一号証、同第一二号証の一ないし一一、同第一三号証の一ないし八、同第一四号証の一ないし四、同第一五号証、同第一六号証の一ないし八、同第一八号証および同第一九号証(原本の存在とも)ならびに前掲証人久保田光利の証言により真正に成立したものと認める同第三号証および同第八号証、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認める同第一七号証に弁論の全趣旨を総合すれば、被申請人の別紙一、二の主張事実がほぼ疎明される。

(4) これを要約すれば、

(イ) 反戦青年委員会は、昭和四〇年八月三〇日、社会党、社青同、総評が中心となり、「ベトナム戦争反対、日韓条約批准阻止のための青年委員会」を結成したことに始まり、当初の目標は日韓条約批准阻止闘争であつて、社会党、総評の青年行動隊的性格を有し、その組織は、当初は中央に労働団体の団体加盟による全国反戦、その下に団体加盟による都道府県反戦、団体加盟による地区反戦さらに個人加盟による職場反戦となつていたが、その後、地区反戦は上記のほか団体加盟と個人加盟の併用方式をとるもの、個人加盟方式のものの三つの形態が存在するようになつた。反戦青年委員会は、その後次第に社会党、総評等上部団体の指揮、統制を脱するとともに、他方では、過激派学生集団の影響をうけ、これと結んで、次第に組織の統制に従わず、屡々過激な街頭における暴力闘争に進出した。中でも、昭和四四年四月二八日の沖縄デー、昭和四三年一〇月二一日および翌四四年一〇月二一日の国際反戦デー等においては、火炎ビン、角材等の武器および投石によつて警察署や交番を襲撃するとか、駅の施設を破壊する等公共施設の破壊活動のみならず、無差別の破壊活動をなし、かかる言語道断な破壊行動により一般市民に多大の損害ないし迷惑を与え、これを極度の不安に陥し入れたことに対し、主義主張をこえて大多数の国民の極めて強い非難があびせられ、指弾をうけたことは公知の事実であり、われわれの記憶に新しいところである。

(ロ) 一方、全電通労組は、さきの全国反戦結成に際して加盟団体として名を連ね、下部組織にも団体または組合員個人で加盟し、反戦青年委員会に加盟している公社職員は、数的にも多く、その主要な構成員となつていたが、さきに述べたように反戦青年委員会が次第に上部組織の統制に従わなくなり、過激行動をするようになつてからは、全電通労組としても、これを組織統制に従わせるべく努力したが、反戦青年委員会に個人加盟している組合員は、その方針に従おうとせず、遂には、全電通労組は事実上反戦青年委員会と手を切るに至つたが、その間、反戦青年委員会に所属する公社職員は、反戦青年委員会の関係する過激な闘争に参加して、多数の逮捕者、起訴者を出すに至つた。九州管内においても、昭和四二年から翌四三年にかけて、福岡、北九州、長崎、熊本の各地区反戦に全電通労組員が個人加盟の形式で加盟し、集会デモなどに積極的に参加するようになり、ことに北九州地区においては、全電通グループが地区反戦青年委員会の主要ポストを占め、学生グループと連係し、昭和四三年四月の八幡病院給食請負化反対闘争を手初めとして、米軍山田弾薬庫輸送阻止、飯塚ホーク基地、板付米軍基地の撤去闘争において主導的な役割を果たし、多くの逮捕者、起訴者を出した(これらの闘争のいくつかに申請人が参加したことはすでに認定したところである。)。また福岡地区においても、昭和四四年の半ばごろから福岡統制電話中継所を中心とした反戦青年委員会のグループが九大左翼系グループ、ベ平連、地区職場反戦等と行動を共にし、活発な街頭行動を行なうようになつた。

(ハ) 他方、反戦青年委員会は、昭和四三年三月「第七回全国代表者会議」において「職場に反戦を」という組織方針を決定し、官公庁、重要産業の工場、事業所において職場反戦を組織し、従来の街頭闘争とならんで、生産点における闘争をも行なうようになつたが、被申請人公社の業務は、公衆電気通信事業という社会の神経系統ともいうべききわめて高度の公益性を有するものであつて、その業務の機能が混乱ないし麻痺した場合には、ただちに国民生活の混乱ないし麻痺を招来し、計り知れない損害を与えるものであり、しかも電気通信施設は、その性質上、設備の一部を破壊するのみで、容易に施設の全機能を麻痺せしめることができるものであるところ、被申請人公社においては、その職員の多数が反戦青年委員会に加盟し、その過激な行動において主要な役割を果たしているところから、その行動が公社の業務に直接的な影響を与え、国民の利便を損う事態が発生することをかねてより懸念し、就中、当時、反戦青年委員会が生産点における闘争方針を打ち出し、しかもこれが公社の施設を攻撃目標とすることを喧伝し、そのような風評がしばしば流れていたところから、かような事態が万一にも発生することを深く憂慮し、これに対し施設の防禦のため可能なかぎりの対策を講じてきたが、かような施設に対する攻撃は、不幸にもついに昭和四四年一〇月いわゆる大阪中電マツセンスト事件として現実化し、社会を不安に陥れるに至つた(この事件は、別紙一に記載のとおり、反戦青年委員会に所属する大阪中央電報局職員四名が、同委員会に所属すると思われる部外者多数とともに昭和四四年一〇月三日から二〇日までの間「中電解体」、「北大阪制圧」を呼号して、管理者を脅迫して局舎内に坐り込み、アジ演説を行ない、ついには屋上クーリングタワーを占拠し、火炎ビンを投下して、六名が起訴され、審理の結果有罪となつた事件である。)。

(ニ) 次に、九州管内の被申請人公社の各事業所内においても、反戦青年委員会に所属するものと認められる職員達は、管理者に対して極めて反抗的であり、また全電通労組の組織統制にも従わず、その主催する大衆行動においてもはね上り行為が見られる等定められた職場規律に従わず、他職員との協調性を欠く等職場秩序を乱すことも多く、さらには前述のとおりの街頭における違法な過激行動により多くの逮捕者を出していたことから、反戦青年委員会所属者またはその同調者とそうでない一般の職員との間の違和感も深まり、職場においてあつれきを生ずるような事態も生じてきた。

これを例示すれば、

(あ) 昭和四四年の春闘において、門司、若松、飯塚の各電報電話局所属の反戦青年委員会のリーダーが音頭をとり、多数で勝手に職務を放棄して課長ら管理者をとり囲み、悪口雑言をあびせて、これをつるし上げたり、からだを小突いたり、肩で押したり、別室に軟禁する等暴行、脅迫、監禁事件を惹き起こした。

(い) 同年九月一一日、福岡電々ビルの中庭で「早川弾圧処分粉砕集会」と称して福岡電通反戦青年委員会の職員約四〇名が中心となり、他の職場の反戦青年委員会のメンバーやベ平連のグループ等部外者を混じえ約九〇名で、無許可の集会を開催した。

(う) 同年一一月一一日、北九州電報電話局片野分局通用門前において、同年一〇月飯塚ホーク基地反対闘争において逮捕起訴され、休職処分をうけた前記宮原静也の処分抗議集会と称して、北九州電通反戦青年委員会系職員約三〇名が中心となり、地区反戦のメンバーや過激派学生等部外者も参加し、約五〇名で集会を開き、アジ演説をしたり、局舎周辺のデモをしたりして気勢をあげたので、警備のため機動隊が導入された。

(え) 同年一一月一二日午後三時ごろから福岡電々ビル中庭において、福岡電通反戦青年委員会系職員二六名が中心となり、一一・一三スト貫徹、佐藤訪米阻止、七〇年安保粉砕等のスローガンをかかげ、外部の過激派学生等を混じえ、三七名で無許可の集会を開催し、携帯マイクによる演説、デモなどを行なつたが、これらの参加者の中には、勤務時間中にもかかわらず、公社の業務命令を無視し、または組合の組織統制にも従わず、職場を離脱して参加したものもあり、公社の就労命令、退去命令にもかかわらず解散しなかつたため、機動隊に排除され、その際逮捕者も出したが、この集会は、「山猫スト」として翌日の新聞等で広く世間に報道された(申請人が、この集会に参加して懲戒処分を受けたことはすでに認定したところである。)。

右のとおりであつて、全電通労組も、これら反戦系組合員の組織統制を乱し、かつ業務を阻害し、他の職員との間にあつれきをもたらすはね上り的な職場内闘争を強く否定する態度を示しており、このことは全電通労組が上記の違法行為を理由としてなされた懲戒処分に対し、(あ)を除くほか、犠牲者扶助規定による救済を拒否している態度からも窺い知ることができる。

(ホ) さらに、前述のごとく、反戦青年委員会が生産点における闘争方針をうち出し、とくに公社の施設に対する破壊活動が予想されたため、公社は通信施設、局舎等に対し、防火シヤツター、金網入りガラス等の防護設備を施すべく多額の費用を支出することを余儀なくされた。

(5) 以上のとおり、全電通反戦青年委員会は、各所で過激な大衆行動や違法行為を行ない、また全電通労組の組織統制にも従わず、外部の者を導入して公社施設内およびその周辺において管理者の制止を無視して集会等の行動を行なつたが、これらの諸活動が現に公社の施設に対する危険意識を生ぜしめ、業務を阻害し、または反戦青年委員会系職員の思想、行動に同調しない他の職員との間に衝突、あつれきをもたらし、あるいは法秩序を無視して過激行動を行なつたこれら職員と一般職員との間に強い違和感を生ぜしめて、多数の職員の有機的結合関係の上にはじめて成立する作業体制の円滑な運営に悪影響を与える等職場秩序を乱し、高度の公共性を有する公社の業務の円滑な遂行を阻害せしめていること大なるものがあることは多言を要しないところであり、さらにこれら反戦青年委員会系職員の存在が対外的にも公社の信用を低下せしめていること顕著なものがあると思料せられる。

3  そうだとすれば、なるほど前述のとおり、本件公訴事実をその背景となる事実と切り離して、それ自体として評価した場合には、申請人の職場における地位、職務内容等からみて、刑事事件の係属後、申請人をそのまま職務にとどまらせたとしても、職場秩序を紊乱し、公社の対外的信用を毀損するおそれがそれほど強いものとはいい得ないかもしれないけれども、申請人が反戦青年委員会の組織に加わつているかどうかは別として、申請人が日頃同委員会に属する者と主義主張を同じくし、反戦青年委員会が主催ないし参加する大衆行動、職場内活動に積極的に参加してきたことは前記認定のとおりであり、さらに申請人の逮捕、起訴さらには本件休職処分の原因となつた昭和四四年九月二二日の「安保反対、佐藤訪米阻止デモ行進」が、反戦青年委員会とその頃行動を同じくしていたベ平連の主催にかかるものであることからいつても、申請人の主観的意図はともあれ、申請人の日頃の言動からして、本件公訴事実は、反戦青年委員会所属の過激分子らの一連の暴力的な街頭活動の一こまであると一般に評価されてもけだしやむを得ないところであり、そうであれば、申請人の本件公訴事実は、少なくとも全電通内の反戦青年委員会系職員の公社内外における前記過激行動、広くは反戦青年委員会の全国的な秩序破壊行為を背景に有するものとして、それとの関連において評価すべく、その背景事実である、上記破壊活動と切り離してこれを評価することは、正確を期したものとはいい難い。(このことは、公訴事実の職場秩序ないし公社の対外的信用に与える影響を正しく評価するについて、本件においては右の背景事実を考慮する必要があることを意味するに止まり、公訴事実以外の申請人の日常の言動が職場秩序の紊乱を生ぜしめたかどうか等を起訴休職処分の相当性を判断するにあたつて考慮すべきことを意味するものでないことは、休職制度と懲戒処分の目的の相違からも明らかであろう。)

4  (1) そうすると、本件公訴事実は、申請人の反戦青年委員会加盟者ないしその同調者としての過激な性向を象徴するものとして、社会的に強い非難に値するものというべく、かかる犯罪を犯したとして起訴された職員を依然として業務に従事させておくことは、公社の業務の高度の公共性にかんがみるとき、なお申請人の主義、行動に同調しない他の職員との間に違和感を生じさせること等によつて、職場秩序を乱し、業務を阻害するおそれが多分にあり、あるいはかかる反社会的な行為をしたとして公訴の提起をうけた職員を依然として業務に従事させておくことは、高度に公共性のある公社の綱紀の弛緩を意味するものとして、公社の国民に対する信用を低下、失墜せしめるおそれが強い(なお、かかる事情のもとにおいては、本件公訴事実につき有罪判決が確定した場合には、申請人に対し相当重い懲戒処分がなされることも十分予想されるところである。)。したがつて、本件公訴事実は前記労働協約に規定する「事案が軽微であつてその情状が特に軽いもの」には該当しないと解すべきであるから、被申請人公社が申請人を公社職員就業規則第五二条第一項第二号に該当するとしてなした本件休職処分の発令について、被申請人に裁量権の逸脱ないし濫用のかどはないものというべきである。

(2) もつとも、証人池田良治は、福岡電通反戦組織は、勤務条件その他に対する不満等職場における日常的な問題についての若手職員の諸要求を管理者や労働組合がとり上げないところから、自らこれを解決しようとして若手職員を中心として団結したものであり、当初から一定の政治的主張と結びついたものではなく、また、専ら過激な行動のみを目的としたものでもないのに、被申請人公社当局は反戦青年委員会系の職員というだけで日常から種々の差別をし、弾圧してきた旨証言するが、当初の目的はともあれ、その後における現実の行動が、前記のごとく、他の過激集団とともに公社の職場秩序を乱し、業務を阻害し、あるいは法秩序を侵害するものとして、他の職員のひんしゆくを買い、社会の指弾をあびる性質のものである以上、公社が施設管理権ないし業務における指揮命令権の発動によつて、しかるべき措置を講ずるのは当然のことであるから、右は反戦青年委員会系の職員であるが故の差別とは解しがたく、したがつて、本件休職処分をなすにつき裁量権の濫用があつたとはなしがたい。

なおまた、被申請人の本人尋問ないしその陳述書(前掲疎甲第二号証)中には、被申請人公社においては、管理職職員でありながら破廉恥事件や自動車による業務上過失致死傷事件、あるいは公社物品の不正事件や選挙違反等を惹き起こし、起訴されたのに、休職処分に付されていない者がいるにもかかわらず、申請人が起訴休職処分に付されたのは、申請人の過去の言動を理由とするところの差別であり、裁量権の濫用である旨の供述ないし記載があり、これに副う前掲証人田石禎介、同池田良治らの各証言等もあり、さらに成立に争いのない疎甲第九号証(朝日新聞)によれば、昭和四五年一二月二一日、申請人の所属する前記中継所回線統制課長甲斐啓哉が出勤途上酔払い運転で自家用車を追突させ、二人にそれぞれ二週間程度の傷害を負わせた旨新聞に大きく掲載された事実が認められるが、右甲斐課長が果して右事実によつて起訴されたのかどうか的確な証拠を欠く本件においては、申請人らの主張はその前提においてすでに欠けるところがあるのみならず、被申請人公社においては、過去において、申請人の公訴事実と事案を同じくするかないしはより事案が重く、かつ情状の軽微でないものについて、原則として休職処分に付されていないというような事実が主張立証されれば格別、またいま仮りに右甲斐課長が前記事実によつて起訴されたのに休職処分その他一切の不利益処分を課せられていないという事態があつたとすれば、そのことは、あるいはその高度の公共性の故に厳正なるべき公社の綱紀の弛緩を示すものとして国民から非難を受けることがあるとしても、それ以上のものではなく、その事実からただちに申請人に対する本件休職処分が裁量権の逸脱ないし濫用であるとの結論を導き出すべき筋合のものではないことは言うまでもない。

三、以上のとおり、申請人に対する本件休職処分について裁量権の逸脱ないし濫用はないから、本件休職処分は適法であり、したがつてその違法、無効を前提とする申請人の請求は、その余の点について判断するまでもなく、失当として却下すべく、申請費用の負担について民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 鍬守正一 宇佐見隆男 大石一宣)

別紙給与額目録<省略>

(別紙一)

反戦青年委員会の沿革、組織および活動並びに同委員会加盟の公社職員の行動について。

一 反戦青年委員会の沿革および組織

(一) 反戦青年委員会は、昭和四〇年八月三〇日、社会党、日本社会主義青年同盟(以下「社青同」という。)、総評が中心となり、「ベトナム戦争反対、日韓条約阻止のための青年委員会」を結成したことにはじまるが、当初の目標は、日韓条約批准阻止闘争であり、社会党、総評の青年行動隊的性格を有していた。

反戦青年委員会結成当初の組織は、中央に、労働団体の団体加盟による全国反戦、その下に、団体加盟による都道府県反戦、団体加盟による地区反戦、さらに個人加盟による職場反戦となつていたが、その後、地区反戦は、当初の団体加盟方式のもののほか団体加盟と個人加盟の併用方式をとるもの、個人加盟方式のものと三つの形態が存在した。

(二) 反戦青年委員会は、結成にあたり、革マル全学連、その他の学生団体がオブザーバーとして参加していた関係もあり、日韓条約批准阻止闘争において、急進派学生とともにしばしば警官隊と衝突さわぎをおこした。

しかし、昭和四〇年一一月、日韓条約が批准されると、反戦青年委員会は、当面の闘争目標を失つたかたちとなり、その活動も停滞した。

二 反戦青年委員会の変質とその後の活動

(一) 反戦青年委員会の活動は右に述べたとおり一時停滞したが、社青同解放派と社青同協会派との対立抗争、過激派学生集団の浸透工作などにより、反戦青年委員会の体質は大きく変り、昭和四一年八月六日、広島で開かれた「第一回全国青年学生反戦集会」において、「中央指示まちの行動から独自の創造的な活動への転換」という方向を打出した。

右のごとき反戦青年委員会の変質により、昭和四二年二月二六日、「三多摩反戦青年委員会」は、三派系全学連、革マル全学連とともに、砂川基地闘争において、現地集会を開き、組織的に投石を行なうなどの行動に出たが、この集会が、反戦青年委員会のはじめての独自の集会であつた。

右の集会を契機として、反戦青年委員会の活動は活発となつていつたが、昭和四二年八月六日、広島において開かれた「第二回全国青年学生反戦集会」において、反戦青年委員会の組織原則として、(イ)個人の創意を運動に反映させる、(ロ)運動の自主性をかちとる、(ハ)青年学生の広範な統一をかちとる、の三つを決定した。

反戦青年委員会は、この「創意」、「自立」、「統一」の三原則にもとづき、急進派学生と連係し、ますます過激な街頭闘争に進出し、第一次羽田闘争(昭和四二年一〇月八日)、第二次羽田闘争(同年一一月一二日)、佐世保闘争(昭和四三年一月一七日―二一日)、成田闘争(同年三月一〇日以降)、ベトナム反戦全国行動大阪集会(同年六月一五日)、米軍弾薬輸送阻止闘争(同年六月一七日、七月二〇日、二一日)、大阪空港軍事使用反対デモ(同年八月一七日)、砂川闘争(同年九月二二日)を行ない、昭和四三年一〇月二一日の国際反戦デーには東京新宿で過激派学生とともに、新宿闘争と呼ばれる暴力闘争を行なつた。

(二) その間、反戦青年委員会は、昭和四三年三月「第七回全国代表者会議」において、「職場に反戦を」という組織方針を決定し、官公庁、重要産業の工場、事業所において職場反戦を組織し、従来の街頭闘争とならんで、生産点における闘争をも行なうようになつた。

(三) 反戦青年委員会の暴走に対し、総評は批判的であり、昭和四三年九月一五日の全国反戦運営委員会を最後に、全国反戦から事実上手をひいたため、全国反戦の活動は停止するにいたつたが、さらに総評は、反戦青年委員会の一〇・二一新宿闘争の評価と関連して反戦青年委員会を改組する意向を明確にした。

しかし、全国反戦の活動停止とは関係なく、反戦青年委員会はひきつづき沖縄奪還中央行動(昭和四三年一一月七日)、東大闘争支援行動(昭和四四年一月一八、一九日)、日米京都会議反対デモ(同年一月二八日)、成田闘争(同年三月三〇日)を行ない、同年四月二〇日、東京明治公園において、各派反戦青年委員会が集まり、「沖縄闘争勝利、七〇年安保粉砕全国青年労働者総決起集会」を開き、四月二六、二七、二八日沖縄闘争を行ない、ことに二八日には「霞が関に解放区を」と呼んで新橋、銀座周辺、渋谷で暴れ、多くの逮捕者を出した。四、二八沖縄闘争ののちも各種闘争を展開しながら、同年一〇月一〇日東京日比谷公園で、反戦系労働者約五、〇〇〇名が「羽田闘争二周年一〇、一〇全国青年労働者総決起集会」を開催し、集会後統一会場である明治公園に向い、ベ平連、全共闘、革マル派とともに統一集会を行なつた。

さらに一〇月二一日国際反戦デーには、反戦青年委員会、急進派学生集団が新宿、高田の馬場周辺でゲリラ活動を行ない、一一月一六、一七日の佐藤首相訪米阻止闘争とあわせて、反戦青年委員会は八〇〇名以上の逮捕者を出すにいたつたのである。

(四) 他方、総評は、昭和四四年四月、全国反戦凍結、新組織結成の方針を決定し、社会党の歩み寄りを得て、九月に全国反戦を凍結し、新組織として「反安保、反戦中央協議会」を結成したが、反戦青年委員会は、社会党、総評のしめつけに対抗する姿勢を強め、前述のごとき各種闘争をくりかえしたのである。

三 全電通労組と反戦青年委員会

(一) 全電通労組は、昭和四〇年八月三〇日全国反戦結成に際して加盟団体として名を連ね、下部組織にも団体または個人で加盟した。

九州管内においては、昭和四二年から昭和四三年にかけて、福岡、北九州、長崎、熊本の各地区反戦に全電通労組員が個人加盟の形式で加盟し、集会、デモなどに積極的に参加するようになつた。

ことに北九州地区においては、全電通グループが地区反戦青年委員会の主要ポストを占め、学生グループと連係し、昭和四三年四月の八幡病院給食請負化反対闘争を皮切りに、米軍山田弾薬庫輸送阻止、飯塚ホーク基地、板付米軍基地の撤去または反対闘争において主導的役割をはたした。

(二) しかし、昭和四四年四月、総評が反戦青年委員会の改組の方針を決定すると、全電通労組は同年七月の第二二回定期全国大会で、総評の方針に従い、(イ)反戦青年委員会には、すべて組織加盟とする。(ロ)行動に参加する場合は、組織と連絡を密にし、組織の方針に基づいて行動すること、などを決定したが、反戦青年委員会に個人加盟している組合員は全電通労組の方針には従わなかつた。たとえば、北九州地区においては、同年八月全電通北九州反戦青年委員会を結成し、全電通労組の方針とは異なる活動を行なつた。

そこで、このような事態に対処し、全電通労組は昭和四五年七月の第二三回定期大会において、(イ)今後全国反戦とは関係をもたないこととする。(ロ)各県段階の反戦青年委員会にも、組織として責任をもてる体制にある場合にかぎり組織的に参加すること、を決定し、全電通九州地方本部も同年七月現在の反戦青年委員会には参加しないことを決定した。

四 反戦青年委員会加盟の公社職員の行動

(一) 反戦青年委員会に加盟している公社職員は、数的にも多く、反戦青年委員会の主要な構成員となつているが、すでに述べた反戦青年委員会の過激な闘争に参加して多数の逮捕者を出すにいたつた。反戦青年委員会加盟の公社職員の全逮捕者数は、昭和四六年末までの間に延べ八五名の多きに達した。ことに、昭和四四年の一〇・二一国際反戦デーには六名が逮捕され、うち三名が兇器準備集合罪、公務執行妨害罪で起訴され、同年一一・一六佐藤首相訪米阻止闘争においては二一名が逮捕され、うち八名が兇器準備集合罪、公務執行妨害罪で起訴された。

(二) 反戦青年委員会が生産点における闘争方針を打ち出して以来、反戦青年委員会の闘争は、公社にとつて直接的な影響をもつようになつた。

すなわち、公社の営む電信電話事業は、その施設の中心部を比較的容易に破壊し得るうえに、その通信業務に及ぼす影響がきわめて重大かつ広範囲に及ぶ性質のものであるから、反戦青年委員会は公社の施設を攻撃目標とすることを宣伝し、またそのような風評がしばしば流れたのである。

公社はこのような業務の特質から、反戦青年委員会の過激な闘争に対しては可能なかぎりの対策を講じているのであるが、しかしこのような対策も主として外部からの攻撃に対するものであり、内部からの破壊に対しては、防禦はきわめて困難な状況にある。

このような状況下において、公社の施設が攻撃目標とされた一例として、大阪中電マツセンスト事件がある。

右事件は、反戦青年委員会に加盟する大阪中央電報局職員が、もと同局職員三名ほか部外者多数とともに、昭和四四年一〇月三日から二〇日までの間、「中電解体」、「北大阪制圧」を呼号して、赤ヘルメツトを着用し、管理者を脅迫して、玄関横あるいは局舎内で坐りこみを行なつたり、職員食堂で「大阪中電マツセンスト貫徹」のアジ演説を行なうなどしてマツセンスト参加を呼びかけ、ついには屋上クーリングタワーを占拠し、火炎ビンを振りかざして管理者を脅迫し、火炎ビン一本を投下して逮捕され、公社職員一名を含む六名が起訴され、いずれも有罪となつた事件である。

右事件は連日新聞により報道され、社会を不安に陥れたのであるが、この一例からも明らかなように過激分子が公社の業務に与える影響、公社の対外的信用に与える影響ははかり知れないものがあるのである。

(三) なお、九州管内における反戦関係の公社職員の逮捕者は、総数延一四名に達し、うち五名が起訴されている。そのほか、反戦青年委員会に属する職員が部外者多数とともに公社施設内で坐り込み、デモを行ない機動隊を導入して排除した事件もあり、反戦系職員の闘争は公社内外に大きな不安を呼び起こしているのが実情である。 以上。

(別紙二)

反戦青年委員会加盟の公社職員の九州管内における主な企業内活動について。

一、昭和四四年春闘におけるはね上がり行為

(一) 昭和四四年以前の九州管内における公社と全電通労組との労使関係はきわめて安定しており、相互信頼のうえに立つて問題を平和的に解決してきた。ところが、昭和四四年春闘において、はじめて従来見られなかつた一部過激派分子のはね上がり行為が現われた。

これらはね上がり行為の主なものはつぎのごときものであつた。

1、門司電報電話局

(1) 昭和四四年四月一六日午前中、十時康、林誠吾郎および荒木喜三太を中心とする一五名の者は、勤務時間中、就労命令を無視して、三回にわたり(あわせて一時間三五分)、第一、第二線路宅内課長に対し、年休付与を要求して、悪口雑言を浴びせてこれをとりかこみ、救出におもむいた次長、庶務課長、労務厚生課長に対しても同様に悪口雑言を浴びせた。

(2) 翌一七日午前〇時ごろ、前記荒木および林、中泰および広吉禎己は、第一線路宅内課長らが海上保安部の電信ケーブル障害復旧工事に出かけるため車に乗ろうとするのを妨害し、同課長らがやむなく車を諦め、徒歩で行こうとしたところ、これをとりかこんで出発できないようにし、同課長らが公衆電話で連絡しようとするのを妨害した。

(3) 同日午前八時二〇分ごろから約一時間四〇分にわたり、前記十時、林、荒木、中、広吉らは、運用課長をとりかこみ、同課長の救出におもむいた次長、庶務課長、労務厚生課長をもとりかこんで身動きできない状態にした。

(4) 同日午後六時二〇分から約四〇分間、前記林、荒木ほか一名は、電信機械課長をとりかこみ、侮辱的言辞を弄し、嫌がらせを行なつた。

2、若松電報電話局

(1) 同年四月一五日午後七時五〇分ごろから、相川正、谷口修二ほか二名が線路宅内課長をとりかこんで、押したり、こづいたりしたので、次長が救出を試みたがなかなか成功しなかつた。その後ようやく脱出して走つて逃げようとしたが、また捕つてしまい、組合支部書記長が同人らを説得して、ようやく納まつた。その間約一時間一〇分であつた。

(2) 翌一六日午前八時三五分ごろから、前記谷口、相川は線路宅内課長と押し問答の末、同課長のいすを押したり手を払つたりするなどの行為をしたので、次長の申入れにより、事態収拾のため、次長室で次長と同課長が分会長と話合いを始めたところ、右谷口、相川および江頭秀次(同年一一月一六日佐藤首相訪米阻止闘争で東京において逮捕された。)、柳原忠記が押しかけて来て、抗議を続けた。途中線路宅内課長が貧血を起したので次長が水を飲ませたところ、谷口らは芝居をするなと大声でどなつた。同課長を休憩室に移したあと、ふたたび話合いをつづけていたとき、谷口は次長に対し、指で眼をつくような動作をくりかえしたり、膝をこづいたり、肩を押したりしたが、分会長が中に入つて、ようやく納まつた。その間約三五分であつた。

(3) 同日午後〇時二五分ごろから約四五分間、次長室において、次長らと分会長ほか一名が話合いをしているところへ、前記谷口、相川、江頭、柳原そのほか吉田敏幸ら約二〇名が押しかけてきて、悪口雑言を浴びせ、谷口は右足で、次長の右足膝下を蹴り、相川は分会長の制止を無視して、次長の耳もとで大声でわめき、吉田は右手で次長の右肋骨下を強く押したので、次長は思わず坐りこんでしまつた。さらに谷口は右足で次長の右手薬指を蹴り、吉田は庶務課長のあごに右手をかけ三回持ちあげた。

3、飯塚電報電話局

(1) 同年三月三一日午後二時四五分ごろ、団交中に、組合員約二〇名が入室し、障害物、スクラムによつて公社側の退室を妨げ、さらにその後、局長室に乱入し、携帯マイクを使用して、局長名をかたつて市民に放送したりし、シユプレヒコールを行なつて退去した。その間約二時間三五分であつた。

(2) 同年四月一六日早朝、局舎・車両にビラ約一、二〇〇枚が貼られたので、公社側がこれを撤去しようとしたところ、組合員のピケによる妨害行為が行なわれ、また線路宅内課長が線路詰所につれ込まれたりした。

また、同日午後庁内デモ・坐り込みが行なわれ、庁内にビラ約一、八〇〇枚が貼られた。

さらに、同日午後、組合青年部約四〇名は、坐り込み、局内監視を行ない、放送施設を無断使用し、同日午後一〇時一五分ごろ管理者が局長室から退室しようとするのをピケで妨害し、翌一七日午前四時四〇分ごろまで、扉・壁をたたいたり、電燈を点滅したり、消灯して強力なライトを照射したりした。

(3) 同月一七日午前八時一五分ごろから、組合員多数が電話運用課長を運用課休憩室に軟禁し、背中を叩いたり、足を蹴つたりした。

午後〇時三〇分ごろ次長、労務厚生課長が入室したところ、腕、腰をつかんで坐らせようとし、坐るのを拒否したところ、やじりつづけた。

(4) 同月一八日午後五時四五分ごろ、機械課長が二階ベランダの赤旗を撤去して帰ろうとしたところ、荒牧文昭、磯渕竜治および梅津清が同課長を力づくで機械課休憩室に連れこんだ。

(二) 以上述べたように、昭和四四年春闘において、一部過激分子ないしそれらに指導された組合員による、従来見られなかつた異常なはね上がり行為が行なわれたのであるが、その後、これらの一部過激分子が反戦青年委員会系の職員であることが判明した。そして、これらのはね上がり行為については、全電通労組も深い警戒心を抱くに至つた。

二、早川弾圧処分粉砕集会

昭和四四年九月一一日、福岡市外電話局の反戦青年委員会系職員早川智子の懲戒処分に対する抗議集会が「早川弾圧処分粉砕集会」と銘うつて、福岡電々ビル中庭において行なわれた。集会は午後四時三〇分ごろから同六時五分ごろまで行なわれ、参加者は、反戦青年委員会系公社職員四〇名、ベ平連五ないし六名、九大反戦、その他の職場反戦等四二名であつた。

この集会は外部の反戦組織が参加して公社施設内で行なわれた最初の反戦系の集会であつたが、集会はベ平連学生の司会によつて行なわれ、情勢報告、外部からの参加者のアジ演説・デモ・インターナシヨナルの合唱などが行なわれた。

公社側は緊急事態に備え、警察に警戒要請をするとともに、電々ビル内の全管理者、労務担当職員を動員して待機し、集会に対し、解散をくり返し呼びかけ、説得につとめた。その結果ようやく集会参加者は警固公園方面に向けて移動した。

三、片野分局集会

昭和四四年一一月一一日午後四時ごろから同六時三五分ごろまでの間、北九州電報電話局片野分局前において、全電通北九州反戦青年委員会主催による「宮原処分抗議集会」と称する集会が開かれた。参加者は反戦青年委員会系公社職員三一名、北九州地区反戦議長泉(門司区役所職員で現在反戦活動で休職中)、反帝学評、地区反戦等外部の者約一九名であつたが、公社職員の中には、同年の春闘で懲戒処分を受けた若松電報電話局吉田敏幸、谷口修二および前記江頭秀次、同じく春闘で懲戒処分を受けた門司電報電話局十時康、荒木喜三太、林誠吾郎、中泰、その他宮原静也(同年一〇月一九日逮捕されて起訴されたが、さらに同年一一月一六日東京で逮捕された。)、赤星英雄(同年一一月一六日東京で逮捕された。)および大石政之(昭和四三年七月二二日逮捕されて起訴された。)が含まれていた。参加者は、いずれもヤツケ・ヘルメツトの反戦スタイルで、アジ演説をしたり、局舎周囲をデモしたりして気勢をあげた。公社側は厳重な警戒態勢をとり、警察に機動隊の動員を要請し、同日午後六時一〇分機動隊六〇名が到着して待機したので、集会は間もなく解散した。

四、福岡電々ビル中庭集会

昭和四四年一一月一二日午後三時五分ごろから、福岡電々ビル中庭において、福岡電通反戦主催による、一一・一三スト貫徹、佐藤訪米阻止、七〇年安保粉砕等を目的とする集会が開かれた。参加者は反戦青年委員会系公社職員二六名、外部の者一一名であつたが、公社職員の中には、申請人、池田良治、田石禎介、早川博、早川智子および楢崎徳雄らが含まれており、参加者はいずれも覆面・ヘルメツトスタイルであつた。集会では反戦旗をかかげ、携帯マイクによる演説、デモなどを行なつた。公社側は、警備班一〇〇名を配置し、解散を呼びかけたが、解散しないので、同日午後三時二〇分機動隊の出動を要請した。一方、警固公園には、学生風の集団約四五名が集つており、同日午後三時二五分ごろ電々ビルに移動する動きを見せたので、待機中の機動隊がこれを阻止して押し戻し、同日午後三時三四分ごろ機動隊約八〇名が電々ビル中庭に入り、集会参加者を排除した。

五、北九州電報電話局坐り込み行動

(一) 昭和四四年一一月一三日午前七時四〇分ごろから同八時二五分まで、北九州電報電話局玄関前において、全電通北九州電報電話局分会組合員による集会が行なわれたが、集会解散後も約二〇ないし三〇名の組合員がひきつづき午後五時まで坐りこみを行なつた。右坐りこみの際に、岡崎努(北九州反戦事務局長で、同年九月二一日に逮捕され起訴された。)、上田卓(北九州反戦加盟の職員)、武藤平和および片山登喜男(いずれも反戦青年委員会の同調者)の四名が勤務時間中であるにもかかわらず、坐り込みに参加したので、組合支部委員長は、異例の就労指示書と題する文書を手交して就労を指示したが、右四名はついに就労しなかつた。そのため組合は、右四名を九か月の組合員の権利停止処分に付した。

六、全電通労組も、これら反戦系組合員の行動を強く否定する態度を示しており、昭和四四年春闘における懲戒処分については、犠牲者扶助規定を適用して被処分者を救済したが、一一・一二電々ビル中庭集会、一一・一三北九州電報電話局坐りこみの際の職場離脱に対する懲戒処分については、扶助規定による救済を拒否した。

以上

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